10年ぶりに書いた小説が新潮社の文学賞で二次選考を通過しました

わたしの書いた小説が、はじめて二次選考を通過しました。
先日UPした記事と、一文字違いのタイトルです。

10年ぶりに書いた小説が新潮社の文学賞で一次選考を通過しました

一文字違いどころか、1画足しただけですね。
自分の中でまったく重みが違っていて、不思議な気分です。

わたしは「5時に夢中」に出ている中瀬ゆかりさんが好きなので、
その中瀬さんがいらっしゃる新潮社の賞で二次選考を通ったことがとてもうれしいです。

うれしいときには喜んでいい

一次選考を通ったときに
「ここで喜んでいたら『まだ一次選考なのに』と馬鹿にされるのではないか」
と思っていました。

しかし多くの人からポジティブなコメントや「いいね」をいただき、
自分を苦しめているのは自分なのだとわかりました。

たとえば某野球チームが1勝するたび優勝したみたいに喜んでいるのを見て、
「大げさだな」と思っていたのが自分に反映されているわけです。

あの人たちはうれしいから喜んでいるわけで、
別に大げさだと思われても、うれしいときには喜んでいいのでしょう。

それを素直に祝福できない自分に難があることがわかって、
なんとも複雑な気持ちになったわけです。

まさかの二次選考通過

正直なところ「運が良ければ一次は通るかな」と期待していました。
しかし二次まで通るとはまったく思っていなかったので、びっくりしました。

想像のつかない世界

こちらがそのときのツイートです。

仕事から帰ってきた夫にこのことを伝えたら、
「想像もつかない世界」と言っていました。
わたしも同様に想像がつきません。

次も通ったら、全文公開されて読者投票を募ることになります。
「ネット上であれこれ言われるの怖いなぁ、嫌だなぁ」という気持ちと、
「ここまで来たんだから行ってみたい」という気持ちです。

ちょっと後悔

宮島ムーの名前で出したのも、よくて一次しか通らないと思っていたからです。

一次だけならタイトルと名前が並ぶだけなので、
「ブログやTwitterで『通りました!』って書きやすいな」と思っていました。
二次も通るなら、本名で出したらよかったとちょっと後悔しています。

講評をいただいた

二次選考通過作品は講評も公開されています。
これを読んで「本当にわたしの小説が読まれているんだ」と、
くすぐったい気持ちになりました。

文章が上手と言われて

なによりうれしかったのは「文章が上手」と書いていただいたことです。

わたしは中学3年生のときに手紙コンテストで入賞して、
秋田まで表彰式に行ったことがあります。
そのときにも審査員の先生に「文章が上手」と褒めていただきました。

しかしその後は鳴かず飛ばずで、
わたしの文章力は中学3年生でストップしてしまったと思っていたのです。

大人になって、プロから文章が上手と言っていただいたのはとてもうれしいです。
ブログを読んでいる方からは「言うほど上手いか?」と思われそうですが、
わたしは「ですます調」より「である調」のほうが上手いのだと思います。
ですます調はどうもうまく書けている気がしません。

上手く書けないところは避ける

あと、わたしの文章が上手く見える理由があるとすれば、
上手く書けないところを書かないからだと思います。

小説を読んでいると、頭の中でイメージしづらい表現が多々出てきます。
わたしの読解力やイメージ力が足りないのでしょう。

自分の小説では自分がイメージできないことを書かないので、
読みやすいと思っていただけるのではないでしょうか。

気持ちが楽になった

二次選考なのに受賞したみたいに喜んでいますが、
自分がうれしいので、それでいいのだと思います。

わたしはライターやブロガーとしてまったく売れないことを悩んでいましたが、
小説が書けることを活かした売り込み方があるのかもしれません。

むしろライターやブロガーが向いていない可能性もあるし、
それが売れないことで自分を責めてはいけないと思うようになりました。

こんなふうに気持ちの余裕が生まれたのはよかったです。
収入にこだわらず、自分のやりたいことをやってみたいと思っています。

※最終選考に残りました。
10年ぶりに書いた小説が新潮社の文学賞で最終選考に残りました

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